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横浜地方裁判所川崎支部 昭和40年(ワ)352号 判決 1967年9月01日

原告 高橋タカ子

右訴訟代理人弁護士 岡田実五郎

同 大森綾子

同復代理人弁護士 鈴木孝雄

被告 野原木治

右訴訟代理人弁護士 藤森功

主文

原告が被告に対し金一、六一八、〇〇〇円を支払うのと引換えに、被告は原告に対し別紙物件目録記載の建物につき、昭和四〇年一一月一〇日売買を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、主文同旨の判決を決め、請求の原因として

一、原告はかねてから被告所有の別紙物件目録記載の建物を賃借していたが、被告を相手方として申立てた川崎簡易裁判所昭和三七年(ノ)第八三号所有権移転登記手続等調停事件で、同年一一月五日つぎのような調停が成立した。

(一)  右当事者間の別紙物件目録記載の建物に関する賃貸借期間はこれを更新し、昭和三七年一一月一〇日より昭和四〇年一一月九日まで三年間とする。

(二)  賃料は昭和三七年一一月分より毎月三三、〇〇〇円と改め各月末日より翌月五日までに支払うものとする。

(三)  (一)の期間満了の際当事者間において前記建物の売買契約を締結するものとし、これがため原告は被告に対し権利金として金二〇〇万円を支払うものとする。

右金員の授受は昭和三七年一一月一五日午後二時川崎市東田宮代商店において行うものとする。

(四)  当事者間において売買契約については前項の権利金を認めて適正なる売買価額を協定するものとする。

二、原告は約旨に従い昭和三七年一一月一五日被告に権利金二〇〇万円を支払ったが、右調停条項にいう権利金とは売買予約が成立した証拠として授受せられる手付金、いわゆる証約手付金を意味するものであり、調停条項(四)に「前項の権利金を認めて適正なる売買価額を協定するものとする」とあるのは、予約権利金の支払を売買代金に算入すべきこと、ならびに売買代金の確定は客観的に適正と認められる時価を協議して発見すべきことと定めたものである。

三、原告は前記賃貸借期間の満了が近づいた昭和四〇年一〇月五日被告到達の書面で、被告に対し調停条項に従い予約権利金を認めた売買価額を協定するよう促し、その価額を決定のうえ昭和四〇年一一月九日までに代金の支払と引換えに建物の所有権移転登記をうけたい旨通知し、売買完結の意思表示をした。

四、原告が支払った予約権利金二〇〇万円を認めた適正な売買価額の残額は一、六一八、〇〇〇円であるのにかかわらず、被告は原告の前項通告に対し売買価額は一、二〇〇万円であるとし権利金二〇〇万円は賃貸借のそれであって売買価額に算入されるべきものでない旨を回答してきた。被告のこの不当な回答により、当事者間に売買価額の協定は不可能となり、成立していないが、調停条項に適正な売買価額を協定することを定めたのは前記のとおり客観的に適正な時価を発見するための方便にほかならないから、相手方が協定の申入れに応じないとか不当な価額を申出て協定の成立を妨げたような場合売買が不成立となるものではなく、客観的に適正な時価を代金額として売買は成立している。

五、このようにして、原告の予約完結権の行使により賃貸借期間の満了した昭和四〇年一一月一〇日本件建物の売買は成立したから、被告に対し売買価額残金一、六一八、〇〇〇円の支払と引換にその所有権移転登記手続を求める。

と述べ、被告の抗弁事実を否認した。

被告訴訟代理人は、原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする、との判決を求め

一、原告の請求原因一項の事実は認める。同二項のうち、金二〇〇万円の支払をうけた事実は認めるが、その余は否認する。同三項のうち、原告主張のような書面による通告を受領したことは認めるが、その余は否認する。同四項のうち、右通告に対し被告より原告主張のような回答をしたことは認めるが、その余は否認する。同五項は争う。

二、原告主張の権利金二〇〇万円は賃貸借期間の更新に伴い授受せられた賃貸借の権利金で売買予約の証約手付金の性質を有するものではないし、右売買予約も、当事者が適正と思われる代金を協定すなわち協議決定すべきことを定めているから、その協議決定の成立することが重要なのであって、協定ができないのに一方的な予約完結の意思表示により客観的に適正な時価を代金として売買が成立してしまうものではない。代金についての協定が成立しない限り、本件建物の売買も成立しない。

三、原告主張の調停は被告の代理人として訴外富田清三郎が出頭して成立したものであるが、同人は前記二〇〇万円を賃貸借の権利金として授受せられるものと信じ調停に応じた。したがって、右二〇〇万円が仮りに原告主張のような性質を有する売買予約権利金である旨の調停条項が定められているとすれば、同人には調停条項の要素に錯誤があったもので本件当事者間に成立した調停は無効である。

と答えた。

立証≪省略≫

理由

一、被告所有の別紙物件目録記載の建物につき、川崎簡易裁判所で昭和三七年一〇月五日本件当事者間に原告主張のような条項を定めた調停が成立したこと、右調停条項に定めた権利金二〇〇万円は約旨の期日に原告より被告に支払われことは争いがない。

二、右調停条項にいう権利金を被告は本件建物賃貸借の権利金として支払われたものである、と主張するけれども、調停条項の文言や≪証拠省略≫よりみてそのように認められないことは明らかであり、これに反する≪証拠省略≫は到底信用できない。そして前記調停条項の文言から考え、これに≪証拠省略≫をくみ合せると、右権利金は売買予約成立の要件の一として定められたものであって調停条項(四)にこの「権利金を認めて」適正な売買価額を協定するというのは、後日予約にもとずき売買が完結されたあかつきに権利金二〇〇万円の支払を代金のうちへ支払われたものとして取扱いその残額を協定すべきこととしたものと認められる。証人富田清三郎は右二〇〇万円の一部が後日決定される代金に算入される約であったにすぎないもののように証言するけれども、その一部とは何程の金額であるかを明らかにせず、また本件にあらわれた他の証拠によってもこれを明らかにすることはできなく、そのようなあいまいな約定をしたものとは認められないので右証言は採用しない。

三、前記調停で定めた建物賃貸借の期間が満了する一月余前の昭和四〇年一〇月五日被告到達の書面で原告よりその主張のような申入れをしたこと、これに対し被告より原告主張のような回答をしたことはいずれも当事者間に争いがない。

売買契約は売買代金の額が確定しているか、あるいは確定し得るものでない限りその効力を認めることができないのはいうまでもないところであるが、前記調停で定めた予約では、賃貸借期間満了の際に売買契約を締結しなければならないことおよび適正な売買価額を協定すべきことを定めており、右適正な売買価額とは≪証拠省略≫をまつまでもなく、賃貸期間の満了する昭和四〇年一一月一〇日当時における客観的に相当な時価をいうものと解されるから、代金の額を確定し得るものであることが明らかである。したがって調停条項で当事者がこれを協定すべきものとせられるのも、右時価が具体的にいかなる額であるかを発見するため当事者において協議し、意見の一致するよう努めるべきことを意味するにすぎず、協議をしないからといって、または協議をしたが意見の一致をみないからといって、代金額を確定できないものではないのであり、以上に反する被告の主張は失当である。

それゆえ、前記書面による原告の申入れにより原告は予約にもとづく売買を完結したものということができ、賃貸借期間の満了する昭和四〇年一一月一〇日客観的に相当な時価を代金額とする本件建物の売買が有効に成立したわけになる。

四、≪証拠省略≫によると、本件建物の同時期における右相当価額は買受人の原告が賃貸借期間終了直後に建物の占有を継続している具体的状況の下で四、一〇三、〇〇〇円であるとみられ、さらにその約三年前に前記の予約権利金二〇〇万円が支払われており、右二〇〇万円とその間当然のことながらこれが運用により被告が利益をうけているはずであることをこれに参酌すべきものとすれば、右四、一〇三、〇〇〇円から二、四八五、〇〇〇円(前記二〇〇万円に三年間の年七分五厘の割合による復利の運用益約四八五、〇〇〇円を加えた額)を差引いた一、六一八、〇〇〇円をもって原告の支払うべき代金残額とすべきことが認められ、この認定を左右できる証拠はない。

五、被告は前記二〇〇万円が以上説示のような趣旨のものであれば、被告の代理人として調停を成立させた富田清三郎に錯誤があり調停は無効である、と抗弁するけれども、≪証拠省略≫によっても富田に被告主張のような錯誤がなかったことは明らかであり、この点に関する証人富田の証言は信用できず、他にこの認定を左右する証拠は存在しない。

六、そうなると、原告の予約完結により本件建物の売買は成立し被告は前記代金残額一、六一八、〇〇〇円の支払をうけるのと引換えに建物の所有権移転登記手続をする義務があるから、右義務の履行を求める原告の本訴請求は正当としてこれを認容し訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して主文のように判決する。

(裁判官 森文治)

<以下省略>

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